祈願は何のために先日、添護摩(護摩の時に祈願を書いてお焚き上げする木札)を書いている人の傍らにいて見ていた人が 「これを書いたら願いがかなうのか?」 「いえ、どうでしょう」 「願いがかなわなかったら、書いても意味が無いだろう!」 「そうでもありませんね」 そもそも、祈願はその人のお願いをかなえるために するわけではありません。 「拝んだらその人の願いがかなう」 というような祈祷はたいしたことありません。 何故ならその人の願いをかなえたとしても、 それがその人にとって必ずしも良いとは限らないからです。 傍からどう見ても不幸になるというようなことを 本人が望んでいることはざらにあるのではないでしょうか? すなわち本人の願いをかなえてやることが 幸せにつながるとは限らないのです。 あらゆる執着から離れて 自分の心を神仏にゆだねてみましょう。 自ずから正しい道に導かれることでしょう。 私は神仏にお願いをすることを否定している訳ではありません。 すなわち、「~して欲しい」というお願いをしては いけないというわけではありません。 そもそも、私自身が神仏にたくさんお願いをしております。 しかし、お願いを聞いてくれなかったといって神仏を 否定することはありません。 「祈願しても効果がなかった」という方がいますが、 そのようなことはありません。 結果は出ているのです。 その結果は自分が想像しているものとは違うかもしれない。 それどころか、自分が予想していた最悪の結果よりも もっと悪い事態を招いているかもしてません。 しかし、最善なのです。 自分が思った結果が出たら、感謝する。 自分の思っているのと違う結果が出たら、否定する。 ではおかしくありませんか? だから、お願いをしたらその結果がどんなのもであろうとも、 神仏に感謝して欲しいと思います。 ジャンル別一覧
人気のクチコミテーマ
|